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A:仕事の姿勢
A1:遊びの仕事は遊びじゃない
あなたは『なぜゲームを作るのですか?』と聞かれたら、多くの開発の方々はどう答えるのでしょうね。
一番多いのは “ゲームが好きだから” だと思うし、そうであるべきですけれども、私は “自分が最も得意とする仕事だから” と答えるところでしょうかね。
ゲームや ゲーム作りが好きだからという理由は、それよりは優先度低いです。
ゲーム作りの仕事は、すなわち 遊び を作る仕事ですが、その仕事は遊びではありません。
趣味でゲームを作ることがあっても良いですけれども、売りに出すなどお金が絡む以上は、必ず仕事として考えなければならないのではないかなと。
ゲームは本来自分が好きな作品を作ることが当然のように思いますよね。
特に小規模インディー系などはそういう傾向もあるし、それはそれで望ましいことなんですが。
だけどインディーだってお金をもらう以上はプロなものです。
プロに徹し需要に対して器用に振舞うことだって大事だと思います。
例えば、チームのスタッフは、自分の好みに合わないゲームを作っていることなど日常茶飯事でしょう。
かわいいものが大好きなアーティストがゾンビやゴキブリの緻密なテクスチャーを作り続けるっていうこともあろうかと思います。
嫌でしょうけどね。
自分の好みと正反対であっても、それが仕事ならばしっかり器用にこなさなければなりませんね。
もちろん、どんな仕事も楽しめるようにするのが一番なので、その面白さややりがいを見つけることも大事だと思います。
なお、特定のディベロッパーやディレクターなどの作家性に惚れ込んで、そのディベロッパーの仕事をするようになれば、好きなものを作れる可能性はあるかもしれません。
ただ、これは極めて狭い門だと言えますけどね。
では、そのディレクターやゲームデザイナーになって企画を1から考える立場になれば、自身が好きなものを作れる可能性は増すでしょうね。
が、ここに来ても、なお、自分が好きなものを作っているとは限りません。
例えば、私が作るゲームは、私の好みと全く関係なく作ります。
よくゲームをする私が初心者向けに特化した星のカービィを作ったり、
落ち物パズルが苦手な私がメテオスを作ったり、
少なくとも私は自分の好みで企画をしません。
どんなジャンルを提示されても課題とみなし、考えた上で、目的に合ったものを作ろうとします。
ただ、これもまた なるべく楽しむようにするのが一番ですね。
私も自分の作品やゲーム作りをまぁまぁ楽しんでるのではないかなと思います。
発売後も面白く遊べてるし。
ゲームの面白さがなぜ生まれるのかを理解すれば、好みに関係なく幅広い作品を作れるのではないかなと思います。
この番組で様々なヒントがあることと思いますから、少しずつ糸口を見つけてもらえれば幸いです。
しかしまぁそれはさておき、
多様なゲームを作るわれらに共通することは、
作品を作る最終目的は、プレイヤーを楽しませることに他なりません。
何においてもそこは見失わないようにしてください。
困ったり、道に迷うようなことがあれば、プレイヤーを楽しませること と、思い返す。
開発の事情や困難はあれど、遊ぶ人が楽しめることを動機にしてもらえればと思いますね。
A2:プレゼンはスピード
ゲームに限りませんが、チームで何かを作るには、とにかくアイディアをプレゼンテーションするということが必要です。
そうでなかったとしても、制作者が誰かにプレゼンし 物を伝えるということは大事です。
そんなときの必勝法。
それはプレゼンはスピードだということです。
比較的プレゼン上手だと言われた私が断言します。
プレゼンはスピードに他ならない。
贅肉をそぎ落とし、必要なことだけ伝えるようにしましょう。
意図も第2案も必要なし。
絵は必要だけど、シンプルに。
必ずしも短くある必要はありません。
プレゼン時間をいかに濃密にテンポよく進められるかがポイントです。
というわけで、私のプレゼンは以上です。
短く伝えたから一緒に残るでしょ。
プレゼンはスピードです。
A3:お客さんに説明できるの?
ゲーム作りは理屈がきかないコンピュータを相手にします。
また、甚大な人的リソースを費やします。
当然、やりたいこととできることには矛盾が起こります。
プランナー、つまり仕様をまとめる人に任せ、仕様書が上がってくるとき、開発者に都合がよく、遊び手には不親切なものが出てくることが多々あります。
もちろん効率化とのバランスが良い場合もありますが、ただただ不親切であったりとか、自ら、あるいは制作側の都合優先されすぎているとか、こんなときによく口に出す言葉があります。
それ、プレイヤーに事情説明して回るつもりなの?
遊び手にとっては作り手の都合など知ったことではありません。
遊んでいて良いのか悪いのか。
もちろん、0と1で決められるものでもないけれど、少なくとも製作側の事情なんて加味されません。
知ったことではないですよね。
製作者だって、何かのゲームなどの1ユーザーだから、自分が遊んだときにどう思うかっていうのはわかるはず。
だけど制作側に立つと、クリアすべき障害が多く、そこから意識が離れてしまうこともあります。
全て 遊び手ベースの視点を持つことが大事です。
開発に問題が出るのは仕方がないし、変えられないこともあります。
好みも十人十色だから、どれが正解とも言い切れないかもしれません。
他に方法がないことも技術的な壁にぶつかることもしょっちゅうです。
しかし、都合のよさを優先する最大の相手は遊び手、お客さんに他ありません。
不親切に思えたら他の手を使えないか検討しましょう。
これは企画だけではなくプログラマーとも相談してみてください。
理想と技術の間で理想的なバランスをとることが肝心ですから。
A4:仕様を変えること
ゲームにおける使用を途中で変える。
極力避けるべきことではありますが、柔軟にすべきことでもあります。
仕様を変えたら、それまで作ってきたものが無駄になったり、開発の道筋が遠回りになったりします。
純粋にコストがかかるし、モチベーションも減りかねないので実際は避けたいですね。
ただ、いかに先を踏まえて計画されたゲーム仕様でも実際に作ってみなければ発覚しないことはあります。
というより、想定したゲームを誰にでも見せる形にするには、完成させるしかないわけで、完成させるために完成できるだけの資料や想定をしていたら、資料作りが丸1本のゲームを作ることに匹敵するなんてことにもなりかねません。
またチームで作ったものの方向性によっても変わります。
一見して同じものでも、プログラマーなどが違えば、中身はだいぶ違いますし。
スケジュールの都合で仕様を変えるということはよくあることです。
やむなし。
ゲームが面白くならないから仕様変えるということはなるべく避けるべきですかね。
企画段階から面白さは見据えていた方が良い。
制作物は様々なものの組み合わせです。
例えば敵キャラ一つ動かすのも、仕様・基礎デザイン・モデルモーション・エフェクト・プログラム・スクリプト・効果音 などが必要になります。
上流にあたるどれかがスケジュールに遅れたとか、下流にあたる全体スケジュールが詰まったりすると、制作を進めることができなくなってしまいます。
より良い方法や技術があったので、仕様変える。
工数を削るために仕様を変える。
パフォーマンスが想定より低かったので仕様を変える。
その他、山ほど仕様変更を考えられる機会があり、その選択に頭を悩ませます。
実際のところ、これはケースバイケースであるとしか言えませんね。
仕様を変えまいと意固地になって、問題があるのに作り続けてもしょうがないですから。
またスタッフなどが問題点に気がついていた場合、後から『そうだろうと思っていた』などというのはなしです。
問題に気がついたら、すぐに誰かに言わなければならない。
スタッフなら誰でも もれなくです。
お客さんは・プレイヤーは問題があっても変えることはできません。
しかし、開発スタッフなら、仕様を変えることができる可能性があります。
理屈が通じないコンピュータを相手にするからこそ、矛盾めいた解決できない問題が起こることも多いですが、だからこそ、集合知っていうのは侮れません。
できる手立ては考えられるだけ机上に並べ、そこから現在における最適解を選択する。
解は、短期と長期の両方から吟味するなんてことが必要かなと思います。
ところで私の場合、生まれた課題に対しては、時間をかけず、即座に結論を出すようにしています。
大概の場合は、聞いた相場ですぐ言ってるのは時間が勿体ないですから。
その判断には情報が必要です。
情報が正しくないほど、判断をミスする可能性が高くなるので、わかっていることは洗いざらい聞きたいな と思います。
相談のために どう相談しようなんてチームで揉んでいて時間がかかるなんてことも本当にあるんですが、そういうことも損ですね。
開発は常に動いているものですから。
もし相談が早ければ、ロスも少なくて済みます。
A5:企画書の書き方
今回のお話は企画ゲーム設計カテゴリ寄りの話かなとは思いますが、いろんなものに応用が利くので、こちらで。
私が近年書いている企画書の体裁を、可能な範囲で出してみようと思います。
良いと思って独自にそうしているのですが、開発チームや会社によっては、その文化の違いにびっくりされる可能性はありますね。
これがスマブラスペシャルの企画書の表紙です。
全てはここから始まった。
パワーポイント書類で作られていて、ほぼ全てのページはこのような感じです。
写真、あるいは図が1枚、そして文章が2行。
1ページ、一つの説明項目に対し、これだけで済ませています。
ただし、ページが多いです。
200ページを超えていますね。
ただ、読むと漫画の一コマのようにぱっぱとくれるし、プレゼンをする際にもさほどの時間はかかりません。
また、実践的にゲームの仕様に織り込むため、少し細かい、チームだけ知っていればいいという部分も含めています。
よく企画書は薄い方が良いなんてことも言われますが、必ずしもそうではないです。
わかりやすいか、面白いか、内容は妥当か。
密度あるプレゼンをスピーディーに聞ければ、ページ数自体は問題ではないです。
何より、スマブラなどが大ボリュームなのか、よくないんですけれども、
しょうがないっすね。
大カテゴリーと小カテゴリーがあって、全体の中でどれだけプレゼンが進んでいるのかがわかるようになっています。
終わりのないプレゼンってつらいですからね。
私が書く企画書の形式はフリーになった頃からこのような感じでした。
実際には私自身が喋るプレゼンも込みになるのですが、文章をただただ読み上げるというようなことはしません。
画面に長く文章が出ていて、それを読み上げるだけのプレゼンってイライラしますからね。
先に読んじゃったりして。
もしもそのようにしていたら、やめましょう。
ぱっと見でわかるようにする観点からは今回紹介したものおすすめの手法です。
ただ、中身に何が書いてあるのかが一番大事ですけどね。
A6:企画は強火でザっと仕上げる
一つ前のこのカテゴリーで私の企画書の書き方みたいなものを紹介しますが、その企画を皆さんが仕上げるコツということもご紹介しておきます。
何より企画書を書くときには、もたもたしない。
ダラダラと書いていても何にも良いことありません。書くことの大筋を別途まとめ、項目を書き出したら、プレゼン書類にどんどんどんどんまとめると。
ただ、これをしっかりやるためには、事前の計画を物を言います。
大項目小項目などの仕分けはしっかりと行い、
何にせよ、文章長くしすぎないこと。
図や写真はしっかり入れ、イメージの補強をすること。
企画意図をダラダラ並べるなんて不要。
プレーヤーに説明できるわけではありません。
面白いかどうかが全てです。
グラフやリサーチも不要。
プランBも不要。
必要だと思えることだけをシンプルに伝えるようにしてください。
ページが少なければ良いということではありません。
そのページ一枚一枚が適切な情報量でまとまっているかどうかが大事。
その企画を作りたいという気持ちが高いうちにざっと書き出す。
そういう勢いを侮ってはいけません。
遅くなれば、鮮度が落ちます。
そういった心持ちで取り組むのが良いのではないかと。
企画書っていうのは難しくて、
面白さを求めながらも、意外と肝心なところは企画書には出ないもんなんですよね。
例えばモンスターハンターって企画レベルで言ってしまえば、モンスターを狩って、その素材で装備を作るっていうゲームですよね。
現状では、新規性は特にないし、実際のゲームにある美点は企画書上では一部しか出てこないと思います。
つまり、実際にはゲームの面白さってゲームの磨き込みが大事だということでもあります。
企画書無いところに作品はありません。
資本や人材を出してくれるところが、ぜひやってみようと思えるように、勢いと弾みのある企画書を出してみてください。
また、企画書が通らなかった場合、相手の見る目がない なんて思ってはいけません。
魅力を伝える責任は資格者自身にあります。
A7:苦労は忘れる 作品は残る
ゲーム開発は総じて、割とハードな仕事をしています。
多分察してくれるとは思うんですが、ゲームを作るときは思い通りにならないコンピュータ上で小石を少しずつ積み上げるような膨大な仕事をしていくことでしか成り立ちません。
地道なものです。
だけど、より多くの人がプレーしてくれるならどんな苦労でもできてしまうような気がします。
私はゲームを制作し続けるときから心得ています。
多くの人が遊ぶものであれば、苦労しても報われると。
これは売れる規模の大小ではありません。
少なくともゲームを作る以上、ほとんどの場合は遊び人が10人や100人ではないでしょうし、プレイヤー1000人が遊ぶなら苦労に対する効果は1000倍の倍率、1万人なら1万倍です。
ゲームに限らず、世間の多くのものがそのようにして作られています。
一つのものを作り上げることや、サービスの提供をし続けることの何と難しいことか。
そういう多くの人の制作物やサービスに私達は支えられています。
全てはお互い様ってことですね。
逆に楽をするために妥協し続けていると、後で後悔します。
ここで一言。
苦労は忘れる!作品は残る!
私はどのような苦労をしたかは忘れていきますが、作品でミスをしたところはなかなか忘れられません。
これ、星のカービィ夢の泉の物語のエンディングの一部。
違うんだよ!
この瞬間は、画面振動ではなく画面フラッシュを入れるべきなんだよ~ っていうことを私はまだ忘れられてないです。
私の作品は、こう言うのもはばかられますが、想像以上に売れました。
スマブラSPだけで、少なくとも2,900万本以上です。
計り知れない数字。
これ少し調べたところオーストラリア人口と同じぐらいらしいんですね。
世帯ではなくて。
なおスマブラも全シリーズの売上を合わせると、イギリスの人口と同じぐらいのようです。
こうなるともう苦労なんて消し飛びますよね。
遊んでくれた全ての人に感謝をしております。
今回の話は決して無駄な苦労しようという意味ではありません。
最大限の効率化をした上で、サービスに努めようということです。
ゲームに限らず、何らかの制作中には、作品を買ってくれるまだ見る人たちがいる。
その人たちに報いることを考えながら仕事に励む。
重ね重ね、そんな苦労は終わってしまえば忘れていきます。
しかし、作品はずっと残ります。
可能な限り悔いのないようにしましょうね。
提供するサービスはとても多くの人が享受するものだと思い、励んでいきたいですね。
お互いに頑張りましょう。
A8:ディレクターは”個”
ディレクター、もしくはゲームデザイナーになりたいという人はもちろん山ほどいます。
もちろん、どうやったらディレクターになれるのか? という質問はいつも多いですね。
私自身のことは置いといて、様々なゲームを作った有能ディレクターに共通する点はあまりありません。
知り合いはいっぱいいますけど、多くのディレクターを知っていますが、それぞれで全く違うことをしているんですね。
個性豊かです。
だけど、それでもあえて彼らに共通すべき点を挙げるならば、
何かの感覚に敏感で、人とは違うものを見ているというように感じます。
話を聞いていると、私が全然気がつかない見解や考えを持つディレクターが多いです。
一つのものを見るとき、あるいは流すとき、ささやかな何かを見逃さずに拾ったり、人と異なる何かを感じることができる人。
そういったことは、思ったよりもディレクターとしては大事な要素のようです。
映像、ゲーム性、動き、物語、人の感じ方 など全てにおいて。
だからディレクターは少しぐらい変わり者であることは、良いように思います。
誤解をされないように言いたいんですが、ある程度のバランス感覚も必要であることは申し添えておきます。
多分、自身から発する太いアウトプットみたいなものも必要なのだろうと思います。
人に対して会話をすることが絶対的に苦手なディレクターは、まぁ、少しはいるかもしれませんが、あんまり見かけませんね。
自らが感じたことや思うこと、それを作品の個性に乗せ、他とは異なるゲームを作る。
ディレクターは、ゲームがそうであるように、個性やその人にしか持ち得ないものが問われる仕事だと思います。
規模や振り幅の大小はもちろんあるのでしょうが、今私はこのように感じています。
ディレクターは個性です。
A9:とにかく やれ!!
何か仕事ややるべきことを前にして、やる気がなくてやるべきことがなかなか進まないことがあります。
とっかかりができない。
特に0を1にする瞬間。
何も取っ掛かりがない状態からエンジンをかけるというのはなかなか難しいですよね。
そこで誰でも使える唯一最大の解決方法をここでお教えしましょう。
ただひとこと、とにかくやれ!!
何かを計画したり書いたりするなら、今すぐ書け!
絵を描くならがひたすら描け!
どこかに出かける必要があるなら、今すぐ支度して出るんだ。
とにかく今すぐにやる。
これを見ている人も、すぐに消して手をつける。
すぐにやらねば部屋が爆発ぐらいのつもりでやる。
とにかくやる。
今すぐ!
と、勢いをつけて言ってみましたが、これ本当です。
やる気が出ないことに対して深く考えても意味はないです。
とにかくやるべし。
手を動かすべし。
やる気は後からついてきます。
SNSや動画サイト、Webサイト、あるいはゲームなどの魅力からは、少し手を切り、とにかくやる。
断言しますが、自らを鍛えるのは、あるいは成功に近づくのは圧倒的に手数です。
アウトプット少なくして成功なし。
意味などは後で考えれば良いから、とにかく手を動かす ということをおススメします。
ちなみにタスクの見える化をすることなども有効ですが、動いた後で考えれば良いです。
とにかく、今すぐやれ!!
A10:なぜコラムを続けられたのか
かつて日本で最大のゲーム雑誌 ”週刊ファミ通” にコラムを連載していました。
コラム連載期間は18年9ヶ月にもおよびました。
話数は640話。
これはゲーム雑誌にゲームクリエイターが連載したものとしては世界最長だと思います。
多分。
コラム連載としても、まぁ長めですが、さすがに伊集院光さんには敵いませんね。
私の連載前からずっと続けられています。大したもんです。
連載開始当時、カービィシリーズの統括ディレクターを行っており、カービィのエアライドでディレクターに戻っていた時期でした。
その後しばらくでハル研究所を辞めるわけですが、そのときには編集部とひと揉めふた揉めありました。
会社を辞める話を書いたところ、こんなものを載せられないと言われたりとか、ゲーム開発で非常に時間がなかったり、おおむね徹夜をしていたこともありました。
そういった間は他のゲームをできないし、制作中のものも発表していなければ、コラムに書くこともできず困ったものです。
下手をすればすぐにネタの枯渇状態になりそうです。
が、
実際のところ、締め切りはしっかり守りつつ、連載は続けられていきました。
なぜ続けられたのか。
思いつく理由は概ね3つあります。
理由1:アウトプット
ディレクターである私にとって、何かを伝えるということはあんまり苦にはなりません。
こなせます。
この番組だってそうですよね。
理由2:手をかけない
コラムを書くのは、おおむね毎回1時間前後で終わります。
このぐらいで済むならまぁあまり無理はないですね。
理由3:あんまり気負わない。
書かなければならないのだとか、多くの人が見ているのだとか、そういう気負いをせず、使命感を持たず、割と適当にざっと書いています。
これを考えすぎると手が回りません。
3つの理由は、それぞれゲーム業界のためにだとか、使命感をもとにしたものではありません。
こういうことを考え出すと、苦しくなっていく一方なので、どんな仕事もある程度は楽に考えた方が良いですね。
特に習慣めいたものはそうです。
義務ではなく、楽しめるようにしなければ。
創刊号以前から見つめていたファミ通にコラムの連載を長い間持たせていただいたことには とても感謝をしております。
しかし、そろそろ潮時かと思い、筆を置かせていただきました。
新たにこういった番組でお伝えしているわけですが、コラムにも有益な情報がありますので、可能であれば、お手元に取っていただければと思います。
何らかの気づきを生む… かもしれませんから。
単行本が出ていますが、品切れ気味のようです。
そういった場合、各電子書籍でも刊行されていますので、ぜひ。
そして、この番組を作ることんなりました。
もし私にコラムの習慣がなければ、作ることすら思いつかなかったかもしれません。
そういう意味では、ファミ通コラムはこの番組の前身ですね。
ついでに ファミ通コラムを連載するきっかけになったお話をしますと、当時のファミ通編集部のコラム担当と、MMORPGの『ファイナルファンタジーイレブン』で知り合ったことがきっかけです。
リアルであってもいないのに、たまたま遊びパーティーに加わったりする中で、ファミ通本誌にコラムを書いてみませんかと?依頼されたという。
担当いわく、絶対面白いものになるという確信があったそうです。
それがなければ、この番組もなかったかもしれないと思うと、世の中、何かきっかけになるかわからなくて面白いですね。
A11:プランBに頼るな
企画書や仕様書くときには、どうしたらもっと効率的な使用になるのだろうと迷うこともあるでしょう。
2案あるなかで、プログラム的に都合が良いのはどちらか?
より面白いと多くの人が感じるのはどちらか?
その選択を両方提示して人に委ねたいこともあると思います。
そこでよく出てくる企画書や仕様書の例が、”何々という手もある” として、両方の案を書くこと。
たけど特に企画書の場合、プランBを書くことはやめた方が良いです。
何々という手もあるという案の2度出しをしない。
総合的に見て、自分が最も良い方法を選んだら良いです。
提案は後から受ければいい。
Aという手もある。
Bという手もある。
気持ちはわかるけど、企画書はそれではいけません。
理想的な仕様が必ずあり、そこに対して費用対効果を狙うために軌道修正をする。
そういった程度で十分です。
それをするためには、チーム内からの提案もより多く出て、それに耳を貸すことも必要になってくるかと思います。
企画者は理想的だと思える仕様を書く。
問題があったら、チームで解決案を検討する。
結果的にB案に戻ることもありえるけれど、企画者が最初から責任を持って考え抜いた一手を出し続けることが大事です。
これは経験を積むのにも有効です。
それ以上にディレクターにもプログラム的な考え方や効率化を求められるようにも思えます。
ただ、企画は骨組み、屋台骨です。
あっちこっちにと曲げずに、ビシッと筋の通ったものにしましょう。
A12:価値観の幹と枝先
考え方はいろいろあるということは大前提にしてほしいのですが、人は多様性があるけれど、若い頃にはその差は少ないかも というお話です。
ゲームをする人と一般的にまとめたとしても、やってることは多岐におよびます。
少なくとも同じゲームを同じようにプレイしているという人は、全体の中には少ないはず。
家庭用ゲームのパッケージを買い続ける人、特定のソーシャルゲームのみする人、位置系のゲームで歩く人、対戦型FPSなどで夜な夜な競い合う人、VRで世界に没入する人、健康維持のためにゲームをする人、MMORPGで今日も仲間と会う人、PC主体でインディー系をプレイしまくる人。
それぞれでやっていることは、ゲームといってもだいぶ趣が異なります。
同じゲームファンであったとしても、その本質が違います。
昔、ファミコンの時代などは程度あれど、現代に比べればみんな同じようなものをプレイしていました。
それが、価値観が多様化することで枝わかれのように広がり、それぞれ好きなところに落ち着きます。
が、今回は昔話というわけではありません。
任天堂の作品、特に売り上げ上位のものってものすごく売れますよね。
世界で率直に言って強い。
少なくとも日本では売り上げトップをいつも席巻しています。
なぜでしょう。
もちろん クオリティの高さもあるのですが、決して ハード上技術の最先端ではないですから。
今のゲーム機や表現処理はだいぶ優れていますから、そこまでのアドバンテージはないと思われます。
その任天堂の作品が売れる理由に、若年層にヒットしているという要素があると考えています。
人は成長していくうち、価値観が多様化していく。
それぞれの経験、文化背景、出会いやきっかけなどによってどんどん枝わかれをしていくのですが、枝わかれした先というのは当然先細りしていきます。
しかし、枝わかれをする前、幹の部分というのは太い。
若年層は幹の部分にいると考えればよいと思います。
多くの人が多様性を持っていく中、その枝わかれが生じていない段階でのマーケットは太い。
そして、その頃に経験したものは、時代に合った新しい製品があれば、次の世代にも引き継がれるかもしれません。
今回の話は、任天堂の作品がなぜ売れるか という話では決してありません。
もっと多くの理由があります。
ただ、広がる価値観の中、ゲーム制作においてどこを狙うかについては、単純に自分の好き嫌いではなく、より俯瞰して意識すべき というお話に近いです。
普遍的なものや王道がヒットしやすいのも、もしかしたらシリーズ作がヒットしやすいのも、その人が形成された価値観に沿いやすいから というのはあるのかもしれません。
枝の先にある市場はニッチであると言えましょう。
しかし、もしその先、枝の先の人たちだけが熱狂的に楽しめるという可能性ももちろんあるので、みんなで幹を狙っていこうというお話ではありません。
意識をすれば、ターゲッティングもできるのではないかな? というそんなお話でした。
A13:インプットを太く、アウトプットも太く
ディレクターは特にそうですが、良い仕事をできるようにするにはインプットとアウトプットを太くすることが不可欠のように感じています。
インプットは外から受ける刺激。
アウトプットは自身から出す主力。
これらを習慣づけ、当たり前のようにすることをおすすめします。
私の場合、インプットは他のゲームや映像作品などを楽しむことがとにかく多いです。
ゲームは、とにかく多くのタイトルをプレイします。
忙しくてなかなか手がつけられない場合はありますが、とにかくプレイはする。
また、1本のタイトルをずっとプレイするより、より多くのタイトルに触れるようにする。
ただし、エンディングまでは見ることは目指す。
今のゲームの規模感は把握して、それに負けないようにすることは必要ですからね。
いや必要だと思っています。
アウトプットは自身からの発信ということになりますが、その例としては、まず週刊ファミ通に18年9ヶ月もの間コラム連載を持っていました。
これは確かに習慣づいていますよね。
開発現場では、日本ページに情報提供や よもやまを展開していました。
これは日常です。
Twitterなどで展開した今日の1枚は、開発中に撮ったスクリーンショットを元にしています。
これもアウトプットの習慣。
そして、この番組の配信もアウトプットの一環だと思います。
たくさん取り込み、たくさん出す。
どちらも活発にした方が良いことできそうな気がしますよね。
ただ、インプットの形というのは人によって様々です。
無理にゲームをする必要はありません。
同じものを見ても、様々なものを感じて反芻するというだけでも、だいぶ違うのではないかなと思います。
逆に言えば、ただ右から左に流して終わるようなことがないようにしたいところですね。
A14:内圧をカンカンに高める
もしあなたが企画書など、ゼロからスタートさせる何かを作り始めている場合、これは途中で絶対に人に話さないことをオススメします。
我慢して、心の内にある企画をひたすら書き続けること。
私は ”内圧” という考え方を信じており、実践しています。
内圧と風船を膨らますような力。
外に広がろうとする圧力。
たとえとしては、圧力釜などの方が妥当でしょうか?
企画は、頭の中でどんどん膨らませていくものです。
大きくするというよりは、力をかけてグッと中身の力を増していく。
だけど人間は人に話すことで満足してしまいます。
つまり、圧を適度に抜くことで、中身の力が抜けてしまう。
そんなことをしてる場合ではないです。
グッ と圧力をかけ続け、企画やアイディアのパワーを増し、より濃いものにすることを目指した方が良いでしょう。
企画の立て方としては、人と相談して新しいアイディアをもらったり、弱点を見つける手法があることは理解しています。
ブレーンストーミングなんて、集団で出すアイディア方法もありますよね。
だけど、企画書を書くには力が必要です。
やりたい・やろう という気持ちが企画書に圧を感じさせます。
ブレーンストーミング後にまとめさせられる仕様書より、自身が誰にも言わず我慢して書き上げる仕様書の方がグッ と熱量が高いことと思います。
もし誰かに相談が必要なら、それは企画書にまとめてからで良いと考え、自身に向き合いながら打ち込んでみてはいかがでしょうか?
なお、これはSNSなどにも言えると思います。
ネタの内容や仕事の進捗をSNSなどに出してガス抜きしてはいけません。
まず、ぐっと我慢して内圧を育てる、その勢いを仕事にぶつける といったことをやってみましょう。
発表時に、相手がどんなふうに思うのかを想像しながら作るのもオススメです。
これはゲーム開発にも共通しますが、お客さんのリアクションや感動ポイントを想像することで、より頑張れることと思います。
A15:無意味な多数決
企画内容や仕様で意見がわかれたとき、多数決に頼りたくなりますが、これはなるべくやめましょう。
本質的には意味がないです。
結論から先に言うと、なるべく全体像をイメージしている人が知恵を絞って適切な方向を定める、これがベストです。
多数決は民主的、より多くの人が望むことなら正解だと思ってしまいがちですよね。
だけど、作品についてはそうではありません。
企画時に多くの人が否定的に捉える仕様が、実際に作ってみたら面白かったなんてことはざらにあります。
メタルギアソリッド3で怪我をしてそれを直すという企画が立てられたとき、スタッフ内で賛成した人はたったの4人だったと聞きました。
同作の完成版をプレイした人なら、不具合を良くするという面白さは理解できるはず。
多数決で上がるものというのは一番無難ということです。
つまり平凡だということ。
チーム運営などについてはそれが一番良いこともありますが、ゲームや作品の内容については、ディレクターなど核になる人が責任を持って独断で決めてしまった方が良いことが多いと思います。
ただし、決定権を持つ人のバランス感覚が良いことも求められますけどね。
根拠が薄いまま不条理なことを言い続けるような人だと、悪魔の管制塔になってしまいます。
責任者が正しい判断をするには、正しい情報が必要になります。
スタッフは、問題点や解決策候補を洗いざらい話すと良いですね。
隠していることや見えないことがあると、誰でも判断を誤ります。
ただ、私もチーム内で時々多数決をとることがあります。
これはMiiファイターにおけるメイド服のデザイン。
私としてはAかBかと思っていたのですが、余興としてスタッフに多数決をとってみました。
様々な意見が出て面白かったです。
ちなみに製品になったのはA、ディレクター判断でソックスだけは白くしました。
末端部の明度は大きく変えた方が動きがよく見えるからです。
A16:暗示の力
中学校の頃、いわゆる徒競走でビリだった私が、いきなり一等賞をとったことがあります。
その方法をお教えしましょう。
これは競争における必勝法になり得るかもしれません。
まずスタートラインにつきます。
構えます。
そのとき、もすごくおっかないものが後ろから高速で追ってくる と、暗示をかけます。
私の場合、高さ3m以上の重機で すり潰すための刃や回転装置が満載しているようなものを連想しましたね。
地鳴りを上げて、そんなやつが後ろからバーって走ってくるわけです。
で、スタートの合図があったら、猛ダッシュでそいつから逃げる。
足が今にも削り取られそうな距離を、ものすごく近いところまで迫ってくるから必死に逃げる なんて、暗示を持って死に物狂いで走ったらゴールテープを切ってる!という。
結論逃げ足は速い!!
あれ?馬鹿馬鹿しいですかね。
私もそう思いますね。
だけど、暗示の力っていうのは侮れません。
何をやるにしても心構えというものは大事ですが、単に目標とするもの、つまり、そちらに向かうものではなくて、全力で離れる 逃げるためのもの。
つまり、締め切りなり 終わりなりが迫ってくると思うことは、割と効果があると思います。
何かの仕事をするならば、いつでも着手して終えて良いと思うより、あと何時間で終わらなければならない とする方が、実際には進むであろうと思います。
夏休みの宿題は最後の昼にやる なんていうわけではないですが、
私が中学生の頃徒競走で切りだったときは、私は自分の影を追うような走りをしていました。
それは駄目ですね、駄目駄目。
暗示は、何につけ効果的です。
人や状況によって効果が全然違うので半分与太話かもしれませんが、できれば何かに向かったり目指すという同じ方向に行く暗示よりも、何かから逃げるという暗示の方が効果的かもしれません という話をしてみました。
A17:コンセプトは貫くもの
ゲーム制作は一般的にはながーく続きます。
長期に及ぶ開発に疲れてきて、どの部分がどう面白いのかわからなくなってくる なんてことも、実際にはあるでしょう。
だけど、最初に考えたコンセプトは絶対に曲げないようにしましょう。
何時にも、見失わないようにするといった方がいいかも。
企画を立てるとき、当然ですが何らかのコンセプトを考えると思います。
噛み砕いて言えば、相手を吹き飛ばす楽しさがあるとか、立体的なシナリオ構成で深い物語を見せるとか、まっすぐな道をただ突き抜けるという爽快感を出すとか。
つまりコンセプトとはゲームの魅力を方向づける核のことです。
これを、作ったゲームが想定と外れてきたからといって、途中で方向を変えるのはあんまりおすすめできません。
コンセプトとは灯台のともしびのようなものです。
嵐が来ても闇に溶けても、その方向を目指すことだけは常に変えないようにすべきです。
でないと、迷走してしまう。
一度言ったら、それによりまた深みにはまってしまう。
開発を進めながら、偶発的にできた面白さに従って柔軟に調整するという方法もあるにはあります。
その方が割と一般的といえるかも。
スクラップ&ビルドなんて方法もありますね。
だけど、それは多くの制作素材を無駄にする可能性があります。
例えば、1アーティストや 1プログラマーが数ヶ月頑張って作った成果を捨ててしまうことになりかねない。
これはあらゆる意味で避けたいです。
コストがかかることはもちろん、スタッフのモチベーションも下がりますし、スタッフが、いや、少なくともディレクターが灯台のともしびをいつでも明快に見えるようになるまでは、プロジェクトを進めるべきではないとさえ思います。
正直、新規プロジェクトの場合、作ってみないとスタッフには魅力がわからないことが多いです。
いくら企画書で面白そうと言っても、それだけでゲームの良さがわかるわけではない。
完成した後に、「やっとやりたいことがわかったよ」なんて言われたこともありました。
既存のヒットゲームの企画書を想定するとわかると思います。
どうしたって紙面上に面白さは出てこないし、それ以外の内容で、血肉になる面白さも多いです。
だからこそ、少なくともディレクターは最初に決めた方向をしっかり見据え、迷いなく進めるようにしましょう。
まっすぐ進められれば、スタッフが作ってくれるリソースをフル活用できることでしょう。
A18:競争と豊穣
今回は、いろんな仕事にも当てはまる話です。
この番組を見ている方が、ゲームを作りたいと思っているのか、実際にゲームを作っているのかはわかりませんが、事実だけを述べれば、ゲームを作りたい人はすごく多いです。
世界中で生まれるゲームだけでも数えきれないぐらいあるんだから、ゲームを開発する、あるいはゲーム作りに携わる人はもっともっと多い。
仕事だろうと趣味だろうと、世界でより多くの人がゲームを制作していると。
もしも、ゲーム作りしている人でゲーム作りをやめたいと思っているのなら、遠慮なく身を引いても良いかと思います。
1人ぐらい辞めたところでゲームを作りたい人は山ほどいます。
私自身もそうです。
望むと望まざるに関わらず、いろんな人やチームとの激しい競争が起こっています。
とりわけ、ゲームはプレイに多くの時間がかかるものが多いですから、時間の取り合い、奪い合いになっています。
自分が面白いと思うゲーム作る。
それは結構なことなんだけど、商業として出す以上は何らかの競争が起こっているということは意識しなければなりません。
しかも、現在の最新作ばかりではなく、過去に生まれた作品とも競争になっています。
特にサブスクリプションでは、必然的に過去作品との戦いになってしまう。
一方で話は変わって、プレイヤーやお客さんとしての立場の場合、いろんな人がたくさんゲーム作ってくれてとっても幸せですよね。
なんていい時代なんだろう とさえ思う。
非常に多くの作品の中から、自分が好きなものをいただく、好きなものだけ遊ぶ、選択の自由がありますからね。
プレイしたいものだけすればよく、種類が多いなら よりどりみどりですよね。
ゲーム遊べるのは、作ってくれる人がいるからです。
私自身の考えであることを改めてお断りしておきますが、私はゲーム制作の困難をよく知っているので、多くのゲームソフトに感謝をしております。
いや、普段使っている物やサービスは全て、人が思う以上に労力がかかるものです。
その労力をこんな値段で楽しめて良いのか、なんてことを常々思います。
ゲーム作る人は、他のゲームなどを遊んで面白かったことや感動したことから、作り手の道に踏み込んだ人が多いはずです。
誰かが苦しみながら作ったものは、別の誰かを喜ばせます。
競争がありながらも、支え合いながら楽しい世界が作られているということは、意識してみると良いのではないかなと思います。
私はゲーム作りという職業に飛び込んだ結果、ゲームの楽しみが より深く見える、あるいは気がつくようになりました。
この番組自体も、ささやかながら そういうお手伝いをしたいなと考えております。
A19:言ったことはそうなっていく
言葉の力をあなどってはいけません。
言ったことは、そのようになっていくものです。
まぁそれは、明日には必ず雨が降るとか、オリンピック選手になれるとか言っても意味がないことは確かなのですが、
例えば、ネガティブなことを口に出したとします。
お金がどんどんなくなっていくとか、仕事をしてもあんまり意味がないなとか、毎日が面白くないとか、そういうことを思うたび、特に口にしたりSNSに載せるなど何かに表してしまうたび、実際にそうなっていくものだと思っています。
逆に、ポジティブなことを口にしていれば運気は回ってくるものかもしれません。
今の逆に言えば、お金がボンボン儲かりそうとか、仕事のやりがいがあっていいぞとか、毎日楽しいなぁとか。
いやぁ、言いたいことはこうではないですね…
このままではあんまりもうさんくさいですよね。
正直、こういったことを運勢のように話をしてしまうと、オカルトめいた感じになってしまうんですけど、もちろん言いたいことはそうではなくて、
言ったことや考えたことが自らの姿勢を作るということです。
これは目に見えないし効果のほどがわからないだけに、なかなか侮れません。
これ実は、ネガティブ精神が悪いというわけではありません。
むしろ持ってもOK。
何かポジティブにいきましょうねっていうような話じゃないです。
ある意味、ポジティブなだけよりもネガティブは積極性が出るチャンスかも。
ネガティブなことがあるなら、それを改善していこうという気持ちに持っていくなら、逆に効果が上がります。
仕事が意味ないと思うなら、より良い仕事をするための方法とは?
毎日が面白くないなら、もっと変わったことはできないのか?とか。
など、具体的な方向性を持った燃料になりやすいのではないでしょうか。
自分が話した方向に自分が転がるものです。
何かに打ち込む際は、俺はまだまだやれる なんて気合の入れ方もアリだと思います。
以前の暗示の話にも通ずるものがありますが、動いたもの勝ちです。
何かしたもの勝ち。
行く!やる!出る!とでも口にしていれば、何かしら進む方向に動いていくものだと考えています。